おなかをへこめながら体を整えていく、ちょっとありえない整体院「わごいち」の裏側。
私の記憶する限りでは、八月六日はいつも晴れています。
65年前に起こった世界中の人が知っている出来事、
あの日もこんな晴れた日だったそうです。
一瞬で、おびただしい数の人々が死にました。
想像しようにもできません。
そんなような経験など、この身に起きたことが有りません。
今、ここにある私の命、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん…
おばあちゃんのお父さん、おばあちゃんのおじいちゃん、おじいちゃんのおばあちゃん…
その、だれ一人が欠けても、ここに私は居ません。
そんなことを考えたとき、繋がってきた命の軌跡を知ります。
それは奇跡だと思います。
そう思ったとき、このまま消えてしまっては駄目だと奮う。
無駄にしては面白くないと。
「できることはいったい何?」
命の重さや価値を、
勝手に測っているのは他人。勝手に作っているのは自分。
「いったい何のために?誰のための…?」
そうじゃない。
ただ、ここにある命。
ただここにあるだけ。
それを自分で進んでいく。
自分の体を使って、自分の足で。
歩む、歩む人生。
「人生」とは、ただ、〝人が生きる〟ということ。
もし、価値や重さがあるなら、
それを作るのは私。
誰でもない、計るのは私。
原爆が投下されたあと、
死の雨が降ったといいます。
65年前の今日、八月六日。
窓の外では今、昼の青空からは想像できなかった雨音が聞こえています。
応援クリックおねがいします。
PR
ツイート
カテゴリー